RKCテレビ高知放送が運営する「マイベストプロ高知」に登録されました。
トリミング&ブリーダーのプロとして、まちの専門家を探せるWebガイドに選定され
脱OLからトリマーになったきっかけなど、プードルへの熱い思いを取材して頂きました。
多種の犬と暮らした経験と
アメリカのケネルで学んだ経験が強み
幼い頃からいろいろな種類の犬と暮らし、性格の理解やしつけについて体験から学んだ部分が多い。アメリカのドッグショーに関連するケネルで働いた経験を持つ。自からチャレンジし、体得してきた技術が強み。
OLからトリマー&ブリーダーへ転身、
人を幸せにしてくれる犬たちに、幸せのお返しを
人生を変えるきっかけとなったプードルとの出会い
幼い頃から犬と一緒に生活していた浜田さんは、ビーグル、ボクサー、エアーデールテリア、チベタンテリアなど、さまざまな犬を暮らしのパートナーとしてきました。高校・大学時代をアメリカで過ごし、日本航空のグランドスタッフとして働いた後、25歳で帰国。高知に帰って会社員として働き始めた頃、アメリカでの暮らしをともにしたコッカースパニエルが7歳で急死。ペットロスに苦しんだ浜田さんが、傷心のために出かけたパリで心を奪われたのがレッドのプードルでした。当時、プードルは白や黒が主流で、レッドは希少でした。ようやく福岡のブリーダーを見つけ、2000年元旦、浜田さんの元に女の子のレッドのプードルがやってきました。パリで出会ったプードルと同じ「ジェシカ」という名前をつけ、浜田さんのプードルライフが始まりました。
OLを辞めて専門学校に。アメリカでの厳しい経験が成長の糧に
その頃、浜田さんに重大な決心をさせる出来事がありました。ペットサロンで「テディベアカットに」と雑誌の切り抜きを添えてお願いしたところ、見るも無残な姿になったのです。とてもがっかりした浜田さんは、自分の手でトリミングできればと、トリマーになることを決意。会社を辞め、「いつか自分の店を持つ」という目標を持って、香川県にある専門学校に入学しました。29歳の新たなスタートでした。
「あとへは引けない」という気持ちで勉強したという浜田さん。この学校では美容室を併設しており、お客様の犬と接する機会が多く、たくさんの経験を積むことができたと振り返ります。トリミングの腕も上達した頃、「ウェストミニスタードッグショー」を見るためにニューヨークを訪れました。その際、アメリカのドッグスクールの見学に行くと、日本人はとても器用でトリミングのレベルが高い。ここで教えることはないから、ショーのハンドラーの元でアシスタントとして学んではどうかと勧められたのです。翌日、すぐにショーへ足を運び、パドックで犬の仕上げを見学。その場で名刺をもらい、弟子入りをお願いしました。堪能な英語力と熱意が認められ、働くことを許されました。
学校の休学手続きをして再び渡米。ケネルでの仕事はとても過酷だったと言います。住み込みで働き、休みは1日もなく、体力の限界とプレッシャーに押し潰されそうな毎日。カットは一度もさせてもらえませんでしたが、品評会用のカットや、犬質を間近で見られたことは大きな収穫でした。その経験が今に生かされています。
幸せな気持ちにさせてくれる「犬との暮らし」を届けたい
ブリーディングでは、親の性格や身体の特徴を見ながら、健康を第一に出産させます。生まれた後は、食欲のある子に育てる為に時期を見て母親と離し、トイレのトレーニングも行っています。いろいろな人に会わせて慣れさせ、誰にでも愛されるワンちゃんに育てていきます。「新しい飼い主さんの元でかわいがってもらえることが、ワンちゃんにとっても私にとっても幸せなこと。飼い主さんを幸せな気持ちにするワンちゃんであってほしいと思っています」と、深い愛情を持って大切に育てています。
販売後も、犬と家族がうまくいっているかどうか、健康に問題がないかなどのアフター相談を行うほか、ワンちゃんを亡くした方の相談にも応える浜田さん。もう一度犬のいる生活を楽しんでほしいと、ペットロスに陥らないよう時期を見て声がけを行っています。
犬をかわいがるだけでなく、「犬と暮らすこと」を大切に考える浜田さんです。